特集「Society 5.0」を生き抜くクリティカルアプローチ
インターネットを通じて人とモノをつないでいるIoT。それらの技術を使いこなす社会を「Society 5.0」と呼びます。すべての人々にさまざまな情報が共有され、生活が便利になるとされていますが、果たして本当にそうなのでしょうか。
コミュニケーション学では、このように固定概念やそもそもの前提を疑うクリティカルアプローチを大切にしています。
SNSなどの普及により、情報化社会の中で「今の若者は最新技術を使いこなせている」と言われています。しかし、「Society 5.0」のような社会が実現したからといって、私たち自身まで進歩していると思ってしまうのは危険です。今後も5.0~6.0、7.0...と目覚ましい進化をとげていくイメージを抱いてしまうIoT社会。無駄がなく効率的な社会が、本当にいい社会だと言えるのかを考えていきましょう。
外国語学部
宮崎 新 先生
ARATA MIYAZAKI
米国ミシガン州ウェイン州立大学大学院コミュニケーション学研究科コミュニケーション学専攻コミュニケーション学博士を修了。日本コミュニケーション学会、全米コミュニケーション学会に所属。現在は名城大学外国語学部の准教授としてコミュニケーション学を専門に教えている。
「Society 5.0」の技術と人間の進み方は異なる
日常的なコミュニケーションにおいても、技術が浸透したからといって人々のコミュニケーション力まで向上するとは限りません。例えば私たちは、スマートフォンの普及によって膨大な情報をやりとりしていますが、それらは、LINEやSNSなど、技術に詳しくない人でも簡単に使えるサービスが存在しているから可能になっています。私たちのコミュニケーション能力が技術で飛躍的に上がった、という訳ではないでしょう。
外国語学習でも同じことが言え、近年、自動翻訳の精度が上がってきていると言われています。もちろん便利なので適宜使っていくことが重要でしょう。しかし、電子辞書や学習アプリを使ったからといって、紙の辞書を使って学習していた時代よりも簡単に英語力が伸びる訳でも、個人のコミュニケーション能力がただ高くなる訳でもありません。
このように便利な技術が溢れる社会でのコミュニケーションにおいては、常に「自分が何を伝えようとしているか、伝えるべきか」を考える必要があります。その研究の一環として、教育表現プロジェクトを行いました。これはIoTやICTを使い、学生が人前で話している様子を「見える化」する取り組みです。面接を想定した実験では、表情や目線、声の質など、話している間のデータを可視化しています。
学生自身は「見える化」によって、自分では気付けなかった喋り方の癖などを発見することができます。しかし学生の発見につながるというポジティブな結果がある一方で、自分の表情がどれだけ暗いのかを知ってショックを受ける学生がいるのも事実です。この実験では、事実をありのままに伝えることが正義なのか、そうでないとしたら、どうすべきなのかにフォーカスし、どの情報をどのくらい見せることが学生にとって「良いフィードバックになるか」も研究しています。基本的なことのようですが、「Society 5.0」の時代では私たちがどのように技術を使いこなすかが重要なのです。
人間的な感情や意思を尊重するナラティブという考え方
無駄が削ぎ落とされ効率化された技術や、絶対的で科学的な考えに頼ることは安心感があるかも知れません。しかし、それぞれの人の価値観を大切にするアプローチに「ナラティブ」というものがあります。一つの例として、科学的根拠が極めて重要視される医学領域でも、従来から重視されていた根拠にもとづく医療判断「EBM(evidence-based medicine)」に対して、患者の意思を尊重する「NBM(narrative-based medicine)」が浸透してきているそうです。医学的に正しい処置が必ずしも患者の満足感や生きる幸せ(QOL: quality of life)に直結するわけではありません。それぞれの人の中にある語り(ナラティブ)は、複数の真実性に目を向ける重要さを教えてくれます。技術的な正しさが本当に幸せをもたらしているかに対して、このような柔軟な姿勢を保つことが「Society 5.0」と呼ばれる時代にも重要ではないでしょうか。
技術がさらに進化する「Society 5.0」では、当たり前に思えることに対して、クリティカルアプローチによって疑問をもつことがより大切なポイントになってくると考えています。これはコミュニケーション領域でも同様に大切だと言えます。SNSが存在するからこそ可能になったコミュニケーションもありますが、ネットいじめや過剰なコミュニケーションなど、新たな問題も日々発生しています。クリティカルアプローチは、それがいいことなのか、違った場合にはどのようにしてその環境から脱するかを考えるきっかけになります。 便利過ぎる社会で、私たちは感情や意思を尊重しながら、クリティカルアプローチで物事を捉える素養を身に付けなければいけません。それがこれからの「Society 5.0」時代を生き抜く力だと言えるでしょう。