育て達人第123回 江上 登
天白への移転とともに歩んだ47年
「よく学び、よく遊ぶ」学生時代を
理工学部機械工学科 江上 登 教授(材料力学)
名城大学ではこの3月、教員15人、事務職員8人の皆さんが退職されます。理工学部の江上登教授も72歳の定年の春を迎えました。教員生活をスタートさせたのは理工学部が中村校舎から天白校舎に移転した1967(昭和42)年でした。47年間の教員生活に中村校舎での学生時代を含めると名城大学とともに歩んだ歳月は半世紀を超します。
母校でもある名城大学には札幌からの入学ですね。
「立派に育った卒業生が何よりの誇り」と語る江上教授
北海道立札幌工業高校から中村校舎にあった理工学部に入学しました。今は圧倒的に地元出身が多いですが、当時の名城大学は他大学に比べて学費が安かったこともあり、全国から学生が集まっていました。グラウンドがなくて瑞穂グラウンドで体育の授業が行われ、愛知県の工業試験場みたいなところで鋳型を造る授業が行われたりしました。でも、そうしたことにはあまり抵抗感はありませんでした。音速滑走体の実験で小沢久之亟(きゅうのじょう)先生が夜の人気テレビ番組「11PM」をはじめ、いろいろな番組に出演していたり、雑誌に記事が掲載されているのを見ると誇らしく思ったりしました。卒論でその制御システム研究に取り組んだ学生が何人もいました。今でもクラス会をすると、20人くらいは集まりますが、音速滑走体の話で盛り上がります。夢があった学生時代でした。
教員生活を始めた1967年には天白キャンパスに理工学部の2号館、3号館が完成しています。
私は1966(昭和41)年に卒業し、北越工業という会社に就職しました。ところが、卒論の指導教員で、後に学長を務められた藤吉正之進先生から研究室に呼び戻され、迷いに迷いましたが1967年4月から大学教員の道を歩むことになりました。当時の名城大学は、長かった紛争の時代にピリオドを打ち、天白キャンパスに校舎を統合して新たな出発を始めようとしていた時でした。1年前には天白1号館ができ、法商学部、教職課程部、短期大学部の授業が行われていました。4号館や校友会館はまだなく、周囲は見渡す限りの原っぱでした。まだ大学院はない時代で、最初の1年は技術員で、2年目から助手。学生たちと、今の大坪小学校付近の原っぱの石を取り払い、野球をしたこともあります。
専門である材料力学の分野はモノづくり現場に直結する分野では。
モノづくりの原点は創造的要素もさることながら、それがいかに安全であるかが極めて重要で、その根幹をなすのが材料力学です。藤吉先生の専門は機械工作でしたが、私は材料力学が専門の大西欣一先生の研究室で助手になったこともあり、材料力学、材料の強度特性に関する分野の研究に取り組みました。材料の強度、組織などの諸性質、熱処理、表面改質処理技術など、まさにモノづくり産業に直結する分野です。安い材料でも熱処理したり、表面を改質したりして付加価値を高め、コストダウンを図ることができます。最近も塗装会社を経営する機械工学科卒業生の方と、炭素繊維廃材を再利用する共同研究を進め、特許出願を目指しています。
学生とのコミュニケーションをずっと大事にしてこられたようですが、昔と今とで学生気質は変わりましたか。
最近は2~3か月に1度くらいになりましたが、昔は卒論を指導する学生たちと毎月のように一緒に酒を飲みました。学生と一体感を持つことで、潜在的な能力を引き出せるとも思いました。今の学生たちと比べて、昔の学生は豪快で個性にあふれていましたね。留年を繰り返し、卒業するのに苦労した学生もいましたが、そうした学生でも、紹介した企業に就職をして、入社後には人が変わったように頑張り、現在では年商100億の社長として活躍しているほか、海外の合弁会社で社長として活躍しています。今の学生は、昔に比べると入学する時の学力は高いのですが、どちらかというと型にはまった学生が多いように思えます。
名城大学での47年間に及ぶ教員生活も間もなくフィナーレですね。
これまでに修士論文を指導した学生の研究成果のうち、まだ学会の学術論文として投稿していないものについては、退職後、ぜひ投稿して研究成果が日の目を見るようにしたいと考えています。それが指導教員としての最後のけじめだろうなあと思っています。うれしいことに、私の“卒業”を知った卒業生たちから、次々に「卒業記念の飲み会をしましょう」と声をかけてもらっています。たくましく、立派になった卒業生たちに祝福してもらえることはまさに教員冥利につきます。サヨナラ講義はしませんが、5月ころにでも、卒業生の皆さんに合同で祝う会の場を設けていただくことになりそうです。その時に、感謝の思いを込めて47年間の思い出も含め、何か語ろうかと考えています。
学生たちにお別れのメッセージをお願いします。
ありきたりの言葉かも知れませんが、「よく学び、よく遊べ」ということです。この言葉は大学生のためにあるのではないかと思うのです。偏った視野での勉強では、社会に出てから苦労します。「よく遊ぶ」とは、いろんなことを経験して、その中からどん欲に、さまざまなことを吸収することです。企業の方々と話していてもこの話がよく出ます。遊び心、心の余裕を持った勉強をしてください。
間もなく明け渡す研究室を整理する江上教授
江上 登(えがみ?のぼる)
札幌市出身。名城大学理工学部機械工学科卒。博士(工学、名古屋大学)。助手、講師、助教授を経て教授。理工学部長、大学評議員、協議員なども歴任。日本熱処理技術協会理事、同中部支部長、日本微粒子衝突表面改質技術協会副会長。応援団部長。