育て達人第102回 関 厳
集団生活を通し文武両立めざす 中学生武道では万全の安全対策を
法学部 関 厳 教授(生涯体育、柔道部監督)
2012年度から中学校1、2年生の体育で武道が必修となります。公立中学校の3分の2で柔道が選択されると見られる一方で、安全性も論議されています。名城大学柔道部を率いて38年になる法学部の関厳教授に、柔道部員たちと歩んだ38年を振り返っていただきながらお話を聞きました。
――2012年度から中学1、2年生の体育の授業で武道が必修化されます。柔道では授業中の事故への不安の声も上がっています。
「スポーツ選手にとって大事なのは朝食をしっかり食べること」と語る関教授
私も学生たちに、挌技実習の授業で、柔道を教えています。初めて柔道を体験する学生もおり、事故に対しては細心の注意を払っています。投げられた時、必ず自分のへそを見るようにして頭が引いていれば、けがをすることはまず心配ありません。1年を通しての授業なら、精神的な話をしながら寝技も教え、最終的には自由に技を掛け合う乱取りという稽古方法まで持っていきたいのですが、半年の授業では受け身と、正座の仕方、礼の仕方を教えるのが中心になります。中学生に柔道の精神を広げてもらえるのは素晴らしいことですが、指導する人材を含め、万全な体制を整えることが大切です。
――1974年に名城大学に赴任以来、柔道部を指導されて38年になります。最も印象に残っているのはなんですか。
当時、東海地方から全国大会に行けるのは3校でした。中京、愛知学院、名古屋商科の3校の壁は厚く、なかなかその一角に食い込むことができませんでした。まずこの一角を崩すことが目標でした。78年、ついに東海学生柔道夏季優勝大会で準優勝に輝き、悲願の全国大会の舞台に立つことができたのです。きつい練習にも涙を流すことがなかった部員が涙を流しました。私も泣きました。OBもまじえ、浩養園に繰り出して乾杯しました。名城大学のプラカードを誇らしげに掲げ、日本武道館を行進する部員たちを見守った時は感無量でした。
――1992年に、名古屋市瑞穂区新瑞橋の自宅を4階建てに改築し、「新瑞(あらたま)寮」と名付けた柔道部寮を開設されました。
追い求めてきた「文武両立」の思いを形にしようとしたのですが、そのためには、選手たちを、バラバラにさせておいてはだめだと思いました。寮生活を通しての規則正しい生活とバランスのとれた食事が大切だと考えていました。特にスポーツ選手は、朝ごはんを食べなければ芯から強くはなれません。2011年度の入寮者は男子39人、女子(近くの別棟)8人の計47人でしたが、朝は全員が5時50分に起床し、6時20分から徒歩12分ほどで行ける瑞穂運動場で300メートルトラックや森林、山崎川コースなどを走り込むトレーニングをします。
――食欲旺盛な柔道部員たちの食事の用意には大変なエネルギーが必要ですね。
料理教室を開いている妻の応援があったからこそできたことです。朝は午前4時ごろには起きて準備を始めてくれ、5時20分に起きてくる当番学生に指示します。練習を終えた学生たちが次々に食卓に着き、朝食が始まります。ご飯、目玉焼きとかウインナー炒めなどのおかず。学生たちは次々お代わりしていきます。牛乳もたっぷり飲みます。夕食も天白キャンパスでの授業、練習を終えてからの時間差でとりますが毎月約300キロの米が食欲旺盛な部員たちの胃袋に消えます。
――スポーツ選手にとってやはり食事は大切ですか。
大切です。不足しがちなビタミンやカルシウム、鉄分などを盛り込むほか、一人暮らしでは味わえない“おふくろの味”も必ず入れます。柔道は、無差別の団体戦以外は、男女共に7階級制の試合となります。軽量級はウエイトコントロールが大変です。水も重さになりますから、試合前になると寮内に悲壮感が漂います。低カロリーでありながら、力になるものを食べさせなければならない。妻には感謝しどうしです。おかげで2011年度は男子が東海学生柔道冬季優勝大会で20連覇、女子も全日本学生柔道優勝大会の3人制で7回目の3位となりました。
――柔道部の当面の目標は何ですか。
おかげ様で、名城大学柔道部は、体育系学部があるわけではない普通の地方大学としては一目置かれるところまできました。しかし全国大会ではベスト8進出は一度もありません。ベスト16に常に入っていれば当然、可能性は見えてくるはずですので、何とか頑張りたいと思います。
――学生たちへのアドバイスをお願いします。
スポーツに限らず、入学してきた時はだれでも目標を持っていると思います。それを達成するために努力することです。最近の学生はまじめで、これをやりなさいと指示すれば、その分はしっかりやり遂げます。言われたことだけではなく、自分で定めた目標や夢に向かって、全力で頑張ってほしいと思います。
関 厳(せき?いわお)
新潟県出身。日本体育大学体育学部卒。東海大学体育学部助手を経て1974年、名城大学法学部講師。助教授を経て現職。論文に「子供の力~学生柔道部員との生活から~」など。妻富子さんは料理研究家でテレビなどでも活躍中。67歳。