育て達人第096回 伊藤 博忠
母校ホームページで知った被災地の卒業生たち 大震災を通して実感した母校との絆
法学部卒業生 伊藤 博忠さん(秋田県大館市立早口小学校校長)
本学卒業生の秋田県大館市立早口小学校の伊藤博忠校長(1978年法学部卒)は、児童たちと、名城大学と縁のある被災地支援に取り組んでいます。母校ホームページで、名城大学卒業生たちが被災地の最前線で頑張っていることを知ったからです。同じ東北に住みながら初めて知る卒業生たちの素顔、母校の様々な支援。それは母校との絆の再発見でした。
――3月の東日本大震災後、どんな思いで新学期を迎えましたか。
「顔と顔が見える形で被災地を応援したかった」と語る伊藤校長
3月11日はここもすごい揺れで、余震も何度もありました。全校児童130人を雪が1メートルは積もっている校庭に避難させました。翌週、児童たちに「被災者のために私たちにできることをしましょう」と話し、全員で被災地に向かい黙とうしました。新学期から「ふるさとキャリア教育」の一環として、総合的な学習の時間を中心に「東日本大震災復興支援農園活動」を始めました。漠然とした支援ではなく、顔と顔が見える形で被災地を応援したい、支援を通して子どもたちも成長させなければと思いました。児童たちは5月、JAから借りた休耕田を「東日本大震災復興支援農園」と名付け、ジャガイモとサツマイモを植えました。収穫し、被災地に届けるためです。夏の草取りも大変でしたが、保護者や地域の皆様も一生懸命協力してくれました。収穫したジャガイモやサツマイモのうち計約390キロを「給食用に」と宮城県女川町の小?中学校に、さらに地元で販売した分の売上金のうち7万円を義援金として、宮城県気仙沼市大島の大島小学校に届けました。
――どうして女川町と大島だったのですか。
顔が見える被災地を探していたところ、4月に女川町に文房具を送った早口小学校卒業生の男性から「自作の米約1トンを女川に届けるが、子どもらの収穫した芋もトラックで一緒に届けてあげましょうか」と申し入れがありました。一方、本校の女性教員の学生時代の友人が大島小学校の教員をしており、アサガオの栽培セットを大島小学校に送るなど励ましていました。私は母校のホームページ「名城大学きずな物語」を読んで驚きました。女川町、大島とも、復興の最前線で奮闘しているのは名城大学の卒業生たちだったのです。しかも、大島には学生たちがボランティア活動に乗り込んでいます。「これが縁というものだろう」と、迷うことなくこの2か所を支援先に決めました。
――児童たちには母校とのつながりの話もされたのですか。
収穫したジャガイモ、サツマイモの送り先を女川町に決めたことについては、「女川町では校長先生が知っている立派な教育長さん(1964年法商学部卒、遠藤定治さん)が頑張っています。校長先生が卒業した大学の先輩でもあります」と子どもたちに話しました。大島については、「今度、橋をかけることになっている市役所の担当者は校長先生と同じ大学の卒業生の広瀬さん(1981年理工学部卒、広瀬宜則さん)という方で、皆さんのメッセージを大島小学校に届けてもらいます」と説明しました。
――秋田県からどうして名古屋の名城大学に入学したのですか。
大学で勉強して故郷の秋田に帰って教員になって、社会科を教えながら陸上競技を指導しようと決めていました。中学校、高校で陸上競技をやっていましたが、教えていただいた先生の影響もあって社会科という教科が好きでした。名城大学を選んだのは教職課程部が大変充実していたからです。
――東北地方での教員採用枠は狭いようですが、学生時代は相当勉強したのでは。
教育原理の齋藤勉先生(新潟大学教授として2009年死去)の授業では、岩波新書の本も徹底的に読まされました。教育にはこういう争点があるのかとかを知りました。机に教育書を山積みし、「これを読みなさい」という齋藤先生に、「どこで買えば安いですか」と聞くと、上前津、大須の古本屋などを紹介してくれました。薦められた本は全部読みました。法学部の授業はいつも教室の最前列に座りました。社会科の教員になるには憲法は必須だろうと、網中政機先生のゼミに入り、教育権について卒論を書きました。
――先輩として学生たちへのメッセージをいただけませんか。
まず、先生と仲良くなりなさいということですね。私は授業にもほとんど出ましたが、齋藤先生や網中先生らの研究室にはよく出入りして、話を聞いていただき、助言をいただきました。そして、図書館を利用してたっぷり本を読んでほしいと思います。名城大学の図書館は大変素晴らしい図書館です。3つ目はどんどん地域に出て学んでほしいとうことです。故郷の知識を増やすことで新しい発想も生まれます。社会科教員を目指していた私は、岐阜県の輪中地帯、愛知用水、瀬戸?多治見の窯業、四日市コンビナート、志摩半島の真珠、トヨタの自動車工場、桶狭間?長篠?関ヶ原の古戦場など、社会科の教科書に出てくる所には惜しまず足を運びました。名古屋駅のバスセンターから塩釜口経由で向かう足助行きバスにも乗り込みました。教員になって、子どもたちに、三河の町並みとして紹介するのに役立ちました。秋田県が教科書に出てくることはめったにありませんが、名古屋や東海地方は社会科や歴史の教材の宝庫です。
伊藤 博忠(いとう?ひろただ)
秋田県能代市出身。名城大学法学部卒。秋田大学大学院教育学研究科(修士課程)修了。同県北部の小中学校やメキシコ日本人学校勤務などを経て2009年4月から大館市立早口小学校校長。能代市陸上競技協会会長。56歳。