移行用/娱乐老虎机_mg老虎机-【唯一授权牌照】 記念講演終えた3氏が受賞後初の合同記者会見
名城大学の赤﨑勇終身教授と名古屋大学の天野浩教授(元名城大学教授)、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授が12月8日、ノーベルレクチャー終了後、在スウェーデン日本大使館が主催した合同記者会見に出席しました。3人がそろって会見に臨むのは、受賞決定後初めてで、約50人の報道陣が会見が行われたグランドホテルに詰めかけました。
赤﨑教授は冒頭、「受賞が決定してから非常に忙しくなり、報道の皆さんの質問攻めに圧倒されています。受賞決定時の会見でも申し上げたが、この3人で受賞できて非常に良かったと今でも思っています」と述べました。天野教授は「心配していた記念講演(ノーベルレクチャー)が先ほど終わりほっとしています。このような機会を与えていただいたノーベル財団に感謝したい」、中村教授は「受賞決定で非常に忙しくなりましたが、今週いっぱいでノーベルウイークも終わるので、来週からは普段の生活に戻りたい」と語りました。
赤﨑終身教授「芽生える予感のある研究テーマに支援を」
――中村先生、天野先生にお聞きします。赤﨑先生が3人の受賞でよかったと言われましたが、お2人にとってはどうですか。
天野 赤﨑先生は毎年10月になると、記者の方々が名城大学に集まっていたので、いずれは、こうなると思っていた。中村先生も素晴らしい学会での発表があったので、当然だと思う。まさか私が入れていただけるとは思ってもみなかったので、どう言えばよいかわかりません。今でもそういう感じです。
中村 日本の応用物理学会へ行けば、窒化ガリウムのセッションチェアマンが赤﨑先生、発表者が天野先生、私は数人の聴講者の1人。赤﨑先生と天野先生はいい意味で競争相手。この2人を何とか追いかけたいと思っていた。今回3人で受賞できて非常にうれしく思う。
――記念講演を終えた感想と、お互いの講演を聞いた感想をお聞かせください。
赤﨑 私はここ10年近く国際会議に出席できず、英語の講演は久しぶりで、今日のレクチャーで何をしゃべったか、自分でもよくわからない。天野教授は手慣れたもので、非常にうまくまとめていたなと思います。中村先生も独特のテーマで、ジェスチャーを交えながら、かつてのことをいろいろ思い出しながら、話を聞いていた。2人ともバックグランドがあるから、迫力がありましたね。
天野 私はもう少し一緒にやった仲間のことを言うつもりが、だいぶ緊張していたのか、言い忘れ、申し訳ないと思っている。赤﨑先生の講演は非常に懐かしく聞かせていただいた。昔と同じように、きちんとした、素晴らしい内容で、あらためて勉強させていただいた。中村先生は、迫力は昔ながらだが、少し丸くなられたかなと思いました。
中村 私も赤﨑先生の講演は昔、聞かせていただいたことがあり、懐かしかった。天野先生の話も、非常に懐かしく感じた。
――赤﨑先生、長い道のりでしたが、研究を始めたきっかけと、今何をお考えかお聞かせください。
赤﨑 子どものころは研究者になろうとは考えてもいない。野山を駆け回り、虫取りをしていた。(京都)大学に入学した年に、湯川先生がノーベル賞を取られた。当時は敗戦後で打ちひしがれた時代なので、湯川先生がノーベル賞を取られたことに元気づけられる感じがした。戦後復興という時代で、何か世の中の役に立ちたいという思いがあり、ルミネッセンスに出合い、これに非常にとりつかれた。いつか光る単結晶をやりたいと思っており、さまざまな変遷を経て、光半導体をやるようになった。
――2000年以降ノーベル受賞者が増え、日本の底力を示していると思う。何が功を奏しているとお考えですか。またそれを維持するには何が必要でしょう。
赤﨑 ノーベル賞受賞が増えたのは、偶然そういう風になったのではないか。この先もこの勢いかは分かりません。個人的な考えでは、国として、大きなプロジェクト以外にも、将来、芽生えるような予感のあるテーマに、少しでも支援する必要があると思っている。
天野 日本は早い段階からイノベーションオリエンテッドな研究に向かうべきだと意識された方々が多く、この結果につながっていると思う。根本には「人の役に立つんだ」という思いがあるのではないか。国の施策は大切で、各省庁の方々がこの流れをより強くするかが、今後大切になると思う。
中村 日本人は非常にまじめ。小さいころからの道徳教育がこの結果を生んでいると思う。この教育が続けば、ノーベル賞の勢いも維持すると思う。さらに、グローバリゼーションを意識していけば経済もよくなると思う。
――ノーベル賞の受賞で影響力を持つことになるが、使命や役割をどう感じていますか。
中村 研究者として、最後まで研究を続けることが大切だと思う。若い人もそれを期待していると思う。
天野 私は研究というより、エンカレッジすることが使命だと思う。スウェーデンでも女性がもっと社会進出し、女性の研究者が増えなければいけないと伺った。日本の大学も女性の研究者が少ない。機会があれば、そういったことを改善できるように働きかけていきたい。
赤﨑 ノーベル賞を受賞したからといって何も変わらない。今までどおり、研究を続けたいと思う。
――レクチャーで聴講者に伝えたかったことは。
赤﨑 青い光に魅せられて、いろいろな経緯を経て、ここまでたどり着いたことの一端を紹介した。
天野 若い人たちを、いかにエンカレッジするかを考えて講演した。
中村 常識を疑って研究する大切さを伝えたかった。当時の常識は完全に覆された。常識を疑って研究してほしいと思う。
――本日のレクチャーは赤﨑先生、天野先生がお互いを称える講演だった。この2人の出会いがあったからこそ、青色LEDができたと感じた。同時に受賞して、あらためてお互いに対する思いをお聞かせください。
天野 窒化ガリウムという材料に出合えたのは、赤﨑先生がいたからこそ。素晴らしいテーマを与えていただいて大変ありがたく思っています。
赤﨑 天野先生が学生当時、研究室の募集に対してフライングして、私の研究室に飛び込んできた。この人は私と同じだと思った。きっと、のめり込んで研究をやると。それからずっと一緒にやってきた。私が定年後、名城大学に移った時も一緒に来てもらい、4年前に、名古屋大学に戻られた。名城大学としては非常に残念だった。天野先生とは切っても切れない仲で、それは今も続いている。