移行用/娱乐老虎机_mg老虎机-【唯一授权牌照】 赤﨑終身教授 ノーベル賞受賞後の初帰郷に歓迎の渦
2014年12月にノーベル物理学賞を受賞した赤﨑勇終身教授は6月24~26日、受賞後初めて故郷の鹿児島県を訪問しました。滞在中には鹿児島県民栄誉表彰、鹿児島市民栄誉賞、南九州市名誉市民、鹿児島大学名誉博士称号の授賞式に臨んだほか、母校の鹿児島県立甲南高等学校の記念碑除幕式、鹿児島市立大龍小学校児童との交流会などにも出席しました。赤﨑終身教授が各所に到着するたび、関係者や市民から盛大な拍手がわき起こり、鹿児島県初のノーベル賞受賞者の訪問を県民あげて待ち望んだ熱気が感じられました。記者会見で赤﨑終身教授は「私の精神風土は鹿児島で形づくられました。若い皆さんの人生のキャンバスには、まだ多くの余白が残されている。本当に好きなことを見つけるのは簡単なことではありませんが、可能性を信じ、前向きに取り組んでほしい」と県民に熱いエールを送りました。
6月25日
南九州市名誉市民称号記授与式
赤﨑終身教授の出生地である南九州市(旧知覧町)の名誉市民称号授与式が、11時から鹿児島市内の城山観光ホテルで行われ、霧出勘平南九州市長から賞状と青色LEDにちなんだ青色リボンのメダル、県川辺仏壇協同組合の10人の職人が手作りした赤﨑家の家紋入りの「神輿(みこし)」が贈られました。霧出市長は「市民に大きな希望を与えてくれました。第二の赤﨑先生が南九州市から出ることを期待しています」とあいさつ。赤﨑終身教授は「御地(南九州市)に生を受けたことを非常にうれしく思います」と感謝の念を述べました。式典後、陵子夫人とともに贈られた「神輿」に見入り、その大きさ、出来栄えに「感激にたえない」と何度も口にしました。
鹿児島市民栄誉賞授与式
赤﨑終身教授が京都大学進学までを過ごした鹿児島市からの市民栄誉賞授与式も、12時から同ホテルで行われ、森博幸鹿児島市長から賞状と金メダル付きの盾、白薩摩焼の壺が贈られました。森市長は「赤﨑先生のお名前を本市の歴史に刻めたことは、60万人の市民にとって大きな誇りです。赤﨑先生の功績は地球の未来を展望した大偉業です」とあいさつ。赤﨑終身教授は「私の精神風土は鹿児島で形づくられました。2001年に朝日賞を受賞した際の南日本新聞の取材にもそう答えています。鹿児島は私の原点です」と応えました。
大龍小学校の児童との交流会
鹿児島市民栄誉賞授与式に続いて行われた母校の大龍小学校児童との交流会には、同校6年生の児童69人が参加。児童を代表して中村真心(しん)さんが「赤﨑先生の新聞記事を読んで、夢をあきらめず努力する大切さに気づきました。私も外科医という夢に向かって、たくさん努力します」と、終始、赤﨑終身教授夫妻を見つめながら力強く決意を話しました。赤﨑終身教授は「2014年に大龍小学校の130周年にお招きいただき、生徒の方のあいさつやブラスバンド演奏、『ごんぎつね』の演劇が素晴らしかったのを覚えています。向上心を忘れず、楽しい毎日を過ごしましょう」と語りかけました。また児童から校歌と童謡「ふるさと」の3番が披露され、校歌がはじまると赤﨑終身教授は一緒に口ずさみ、「ふるさと」に聞き入るうちに目頭を押さえる場面も見られました。陵子夫人も「立派なあいさつで感動しました。『ふるさと』の3番の歌詞『こころざしをはたして いつの日にか帰らん』を聞いたら、胸が熱くなりました」と話しました。
甲南高等学校の記念碑除幕式
母校の甲南高等学校(旧制第二鹿児島中学校)では同窓会が主体となり、正門に、赤﨑終身教授が作製に成功した窒化ガリウムの結晶の形にちなんだ、高さ約2メートル、1辺約20センチの黒御影石製の正六角柱の記念碑を建立しました。14時30分から行われた除幕式には、悪天候にも関わらず、同窓会や学校関係者、市民らが多数詰めかけ、会場に入り切れない生徒らは体育館で式典のLIVE中継を見守りました。赤﨑終身教授は「母校二中(現甲南高校)に記念碑を建立していただくことは、無上の光栄です。記念碑が窒化ガリウム結晶に合わせて六角柱、また敷石も六角形網目模様に造っていただいて、感動しています」と喜びを語りました。生徒会長の宮原諒真さん(同校2年)は「甲南生であるという自覚に身が引き締まる思いです」と話し、海江田修誠校長は「赤﨑先生に続く、時代を切り開く力を持った若者を世に送り出したい」と力強く語りました。また除幕式を見届けた同窓会の石田新憲会長は「母校までお越しいただき、除幕式が無事挙行できたことは、感無量の思いです」と感激した様子で話しました。
鹿児島県民栄誉表彰授与式と記者会見
県民栄誉表彰授与式は16時から県庁で行われ、伊藤祐一郎知事から赤﨑終身教授に表彰状が、陵子夫人には薩摩切子のペアのタンブラーが贈られました。
続いて行われた記者会見には約30人の記者が集まり、記者団を代表して南日本新聞社の児島佳代子記者が質問に立ちました。記者会見での一問一答の要旨は次の通り。
―鹿児島で過ごした経験が与えた影響は。
「母校大龍小学校の校訓は『敬天愛人』で、今思うと素晴らしい言葉です。私の精神風土は大龍小、二中(現甲南高校)で形づくられたと思います」
―鹿児島の子どもたちへのメッセージは。
「大学1年、2年生ぐらいまでは、人生のキャンバスには余白があり、若い人はそこに自由に描くことができます。私には描きたいことがあっても、余白がありません。キャンバスに思い切って夢を描いてほしいと思います。学生たちにはよく『はやりの研究にとらわれず、自分の好きなことをやりなさい』と言っています。本当に好きなことを見つけるのは簡単なことではありませんが、好きなことなら続けられます。自分の可能性を信じて、前向きに取り組んでほしいと思います」
―LEDの今後の可能性は。
「現在の白色LED(照明)は、青色LEDに黄色蛍光体を通して実現しており、エネルギーロスがあります。効率は50~60%で、これを90%に改善できる可能性があります。また窒化ガリウムは、医療応用、パワーデバイスとしても有力な材料です。これからの展開がまだまだ楽しみです」
―県民栄誉表彰への感想は
「京都大学に行くまで、鹿児島県には大変お世話になりました。重い賞をいただき、感銘を受けています」
6月26日
鹿児島大学名誉博士称号記授与式
国立大学法人鹿児島大学は前身である旧制第七高等学校出身の赤﨑終身教授に名誉博士の称号を贈ることを決定し、同大郡元キャンパスで授与式を行いました。同大の名誉博士称号は、1999年の稲盛和夫京セラ名誉会長に次いで2人目です。
授与式には前田芳實学長をはじめ鹿児島大学の学部長ら約60人が参加しました。前田学長は「赤﨑先生の偉大な功績は、学生や若い研究者の大きな誇り」とあいさつ。赤﨑終身教授は「研究者として大変光栄です」とお礼を述べた後、入学時は戦災で校舎が焼失し、海軍兵舎跡で授業を受けたことや、文庫を乱読し、徹夜で議論した当時を振り返りました。同大の教授らが多数出席したためか、あいさつは予定時間を大幅に超え、青色LEDの実現に至る研究過程や困難な状況にも「これこそ自分の仕事」だと信じ、「一度もあきらめようとは思わなかった」という研究者としての信念を語る貴重な場になりました。