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2025.04.25

パリ五輪を駆け抜ける 娱乐老虎机_mg老虎机-【唯一授权牌照】出身のオリンピアン

やまもと ゆま

山本 有真

名城大学人間学部卒

2024年パリオリンピック 女子5000m出場
積水化学工業株式会社
積水化学女子陸上競技部所属

2000年生まれ

日本で一番強いチームで走りたい

  • 在学中、苦楽を共にし、支え合ってきたメンバーとの1コマ
    在学中、苦楽を共にし、支え合ってきたメンバーとの1コマ

 名城大学に進学したのは、日本で一番強い駅伝部で走るためです。実は、高校の先生は強く反対しました。当時の私はそれほど強い選手ではなく、超強豪チームで走るよりも別の大学に進んだ方が気持ちよく走れるという先生の気遣いだったと思います。でも私は自分の意志を貫いて名城大学に進みました。当時、名城の駅伝部は加世田梨花さん(現?ダイハツ工業)や和田有菜さん(現?日本郵政グループ)などのスター選手ばかりのすごいチームでした。ケガに泣かされながらも、私は1年生のころから大会に出場させてもらい、何度も区間賞を獲得するなど、自分なりに頑張ってきたつもりです。
 でも、私はいつもモヤモヤしていました。キャンパスでは、友人は皆お洒落をして、授業の後にカフェでおしゃべりを楽しんでいる。でも私はすぐスクールバスでグラウンドに行き、夜遅くまで練習する毎日。同じ大学生なのになぜ私だけ?そんな気持ちをずっと抱えていました。
 2年生の1月、その気持ちが爆発しました。駅伝部を辞めると米田勝朗監督に一方的に告げ、グラウンドから逃げ帰ってきました。二度と走るつもりはありません。私は、憧れていた「普通の女子大生」になれたのです。

母のためにも、もう一度走ろうと決める

 数日後、姉とご飯を食べていた時のことです。姉はなぜか、私が3歳の時に他界した母の話を始めました。10歳上の姉は母のことを覚えていましたが、私はほとんど記憶がありません。スポーツが大好きだったこと。障害のために車椅子生活になったこと。私を授かった時、医師から出産を諦めるよう言われたこと。でも母は絶対に産むと言ってくれたこと。そんな話の後、姉はぽつりと「だから、お母さんの分までスポーツを楽しんでね」と言ったのです。私は幼い頃から風邪も引かない健康優良児でした。走ることでは誰にも負けたことがありません。母がせっかくそんな丈夫な身体に産んでくれたのに、私はいったい何をしているんだろう。その時、母のためにもう一度走ろうと思ったんです。

  • 2022年富士山女子駅伝にて
    2022年富士山女子駅伝にて

 駅伝部に戻ってきた私に、米田監督は「この経験は、いつか絶対生きるから大丈夫」と言って、快く迎え入れてくれました。その一方で「戻ってきたからには、日本代表を目指せ」とも言われましたが、正直、その時は絶対に無理だと思っていました。何しろ2カ月も練習していなかったので、連続で5分走るのも辛くなっていましたから。それでも体力を戻すために必死で自分を追い込みました。通常の練習メニューに加え、寮に戻ってからはバイクをこぎ、暇があればトレーニングジムに通いました。合宿中も、夜はホテル備え付けのマシンで走りました。復帰前、私の中で陸上は大学の勉強や友人とのおしゃべりと同じ、生活の「一部」に過ぎませんでした。でも復帰後は、走ることがすべてにおいて優先される生活になったのです。

積水化学?野口監督との出会い

 成果はすぐに表れました。復帰後の目標にしていた第105回日本選手権の1500mで6位入賞。自己ベストタイムが出たのもその頃です。それでも、当時は日本代表なんて考えていませんでした。2021年の東京オリンピックではよく知っている選手が出場していましたが、私とは違う世界の話でした。
 しかし2023年2月、アジア室内(カザフスタン?アスタナ)で意識が変わりました。この時、初めて3000mで日本代表に選ばれ、代表メンバーと1週間ほど過ごしたのですが、こんなすごい人たちと一緒に走れることが楽しくて、これなら絶対にまた代表になろうと思うようになったのです。

 大学卒業後も走り続けるため、実業団チームを探しました。でも、一度陸上から逃げ出した私を採用してくれる企業は現れません。そんな中、唯一声をかけてくれたのが現在の積水化学工業でした。女子陸上競技部の野口英盛監督は、「俺も現役の頃に逃げ出したことがあるから、気持ちは分かる。そして、一度逃げ出して戻ってきた選手の方が強くなるということも知ってる」と声をかけてくださいました。米田監督といい、野口監督といい、本当に私は良い人に巡り合えたと実感しています。

 積水化学工業では、何よりも走ることが優先されるという、まさに私が望む生活でした。大学時代と違うのは、選手は個人で調整を行うため一人で練習する時間が多くなったこと。名城で同期だった荒井優奈もチームのメンバーですが、私は5000m、彼女はハーフマラソンですから、普段はほとんど顔を合わせません。でも夜、寮で一緒にご飯を食べる時など、名城の話題で盛り上がることもありますね。やはり駅伝部の後輩のことは気になりますし、娱乐老虎机_mg老虎机-【唯一授权牌照】で彼女たちが活躍する姿は励みになります。

オリンピック当日の朝、号泣する

 パリオリンピックの日本代表に選ばれたのは2024年の6月末。本番の1カ月と少し前でした。こう見えて、私はプレッシャーに弱いんです。前年8月の世界選手権(ブダペスト)で初めて国際大会の日本代表に選ばれた時は、もしタイムが悪くてSNSで叩かれたらと思うと「攻め」のレースができず、予選で惨敗。オリンピックはもっとプレッシャーが大きくなることは確実でした。そんな私に、野口監督は「オリンピックの日本代表はお前の力で勝ち取ったんだから、余計なことは気にせずに楽しんできなさい」と声をかけてくださり、とても気持ちが楽になりました。

 オリンピック当日の朝、積水化学のチームメートから1本の動画が送られてきました。スマホの画面の中では米田監督の応援メッセージに続いて、名城大学娱乐老虎机_mg老虎机-【唯一授权牌照】の仲間や後輩、友人、さらに高校の先生や後輩までが次々と私を激励してくれました。積水化学のチームメートがいろんな人に声をかけて作ってくれた動画です。私は号泣しながら、頑張るしかないと思いました。
 とはいえ、私が決勝に残るには5000mの日本記録に近いタイムが必要だったので、最初から自己ベストのペースで飛ばしました。もう「守り」のレースはしたくない。世界のトップランナーの先頭には、今まで見たことのないすごい景色が広がっていました。案の定、最後はバテて決勝には進めませんでしたが、最高に気持ち良く走れました。この経験は、これからの私の競技人生に生きると信じています。

 今、本当に陸上を続けて良かったと思います。母や、これまで私を支えてくれた監督や友人、そして、声援を送ってくれるすべての人たちの声をエネルギーに変え、私はこれからも走り続けます。

山本 有真
2024年パリオリンピック女子5000m出場 / 積水化学女子陸上競技部所属

高校時代から長距離ランナーとして知られ、本学では1年生で娱乐老虎机_mg老虎机-【唯一授权牌照】の主力メンバーに。数々の女子駅伝で区間賞を獲得するなど、チームの優勝に大いに貢献した。卒業後は積水化学女子陸上競技部に所属し、2024年には日本代表としてパリオリンピックに出場。アスリートとして走る姿だけでなく、高いファッションセンスもファンからは好評で、2023年には日本陸上競技連盟のトップアスリート部門「ベストパフォーマンス賞」1位を獲得した。