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REALIZE Stories 社会の進化を、世界の可能性を、未来の希望を、描いた者たちの物語。

2024.11.01

普通のパンを特別なパンに
~附属高等学校卒業生「パンのトラ」加藤社長の成長戦略~

かとう あつき

加藤 敦揮

株式会社トラムスコープ代表取締役社長

1980年生

 「パンのトラ」のブランドで愛知県内に6店舗を展開する株式会社トラムスコープ(本社?安城市)社長の加藤敦揮さんは名城大学附属高等学校の卒業生(1999年卒)だ。2011年から、「普通に買えるパンが特別なパンとなるように、仕事を通して人間も商品も共に成長していきたい」と、パンの製造販売に取り組んで14年目。「大切なのは本質で勝負すること。『パンのトラ』を愛知から首都圏、海外にも広げていきたい」。加藤さんの挑戦への夢は広がる。

安城市からの出発

  • キャッチ―なデザイン、CMでおなじみの「パンのトラ」
    キャッチ―なデザイン、CMでおなじみの「パンのトラ」
  • 「パンのトラ」一押しの食パン
    「パンのトラ」一押しの食パン

 「スペイン窯で焼き上げたモチモチ食感のパン」を掲げる「パンのトラ」。安城市にある安城店は2011年開店の1号店だ。7月初旬の平日午後3時近く。店内は「サマーアイテム」(夏メニュー)の「冷たいレモンクリームパン」「コーヒードーなつ」「明太コーンパン」「ココナッツ&パインマフィン」など11種類のほか、生チョコ食パン、焼き立て?冷凍のカレーパンなど盛りだくさんの人気メニューを求め、車での来店者が途切れない。食パンはサンドイッチ用8枚切りの2袋を残して売り切れだった。無料コーヒーコーナーで一休みしていた年輩女性が、「もう少し早い時間だとすごい混みようだよ。今日は娘と一緒の夕食分も含め菓子パンを中心に2,700円分買った」と話しかけてくれた。すぐ近くのJA愛知厚生連安城更生病院での診察帰りで、同様な常連客も多いという。
 加藤さんは安城生まれの安城育ち。「パンのトラ」を安城市からスタートさせたのも「誇りを持てる安城市にしたかったから」だという。「生まれ育った安城でいろんな恥もかきましたが、『パンのトラ』の成長は僕にとって、夢がリアライズしていく一歩だった」とも語った。
 加藤さんは1996年に附属高校に入学した。卒業した1999年から男女共学がスタートしており、最後の男子校世代でもある。制服のカッコよさにあこがれて入学したが、出鼻をくじかれるような体験が続いた。
 戸惑ったのはスタンダードだと思い込んでいた三河弁が通じなかったことだった。クラスメイトに、「もう昼飯は食べたの?」と聞くつもりで、「もう食べたや」と語りかけると、「何それ?疑問文?そんな言葉を使うってことは名古屋出身ではないね」と首をかしげられた。「安城だよ」と答えると、今度は「安城って何があるの」と聞いてきた。満を持して「デンパーク」 と答えると、その友達はデンパークを知らなかった。安城市民としての誇りがへし折られる思いだった。「その時の悔しさはそれ以来ずっと引きずっているんですよ」と加藤さんは楽しそうに28年前の高校入学時を振り返った。
 3年間学びを共にした同期生たちには加藤さん同様、経営者の道を歩んでいる仲間が多いという。

起業の道へ

 加藤さんは日本福祉大学経済学部に進学。卒業後の人生に役立った学びの体験があった。柳在相(りゅうぜさん)教授の授業だ。国際化?情報化時代における経営戦略の在り方 、ベンチャー企業の戦略と組織マネジメントなどの研究に取り組む柳教授の授業で学んだ「戦略的経営の父」とも呼ばれるロシア系アメリカ人の経営学者?アンゾフの業績である「アンゾフの成長マトリクス」は、今でも加藤さんの戦略の指標となっているという。
 高校、大学時代は、将来の人生設計について、「漠然とではあったがサラリーマンではなく起業を考えていた」という加藤さん。日本福祉大を卒業した2003年、オーストラリアのシドニーに留学した。米国シアトルにあるワシントン大学に入学してMBA(経営学修士)取得するためには、まず語学力をアップする必要があり、シドニーのTOEIC専門学校で英語力を磨いた。
 ワシントン大学には合格したものの、加藤さんはMBAへの道は選ばず、福岡、東京のイタリアンレストランで飲食業修業の道を選んだ。
 修業時代を終え安城に帰った。地元イタリアンレストランでのアルバイト経験を経て2007年、初の起業となるイタリアンレストラン「ピッツェリアブル」(〝ピザ店青?の意味)を創業した。しかし、経営は苦戦が続いた。夜になると車もめったに通らない立地条件が響いて午後7時過ぎの来店者は少なかった。修業時代に磨いたピザ職人としての腕を生かし、ディナー客向けに食べ放題のフォカッチャ(イタリアの伝統的なパン)つけるなどした。やがて食事客からの売り上げより、フォカッチャのテイクアウトの売り上げが倍くらいになった。レストラン経営では苦渋をなめたが、フォカッチャの人気、やはり手作りのロールケーキへの手応えが「パンのトラ」創業へ向けて背中を押してくれるきっかけとなった。

「パンのトラ」の開店

  • 2011年2月に1号店として開店した安城店
    2011年2月に1号店として開店した安城店

 ピザ職人としての修業経験と「ピッツェリアブル」での失敗の教訓を生かそうと加藤さんが挑戦したのは大型パン屋だった。食パンは生地の量も多いし、焼く時間もかかるが、高級食パンではないおいしい食パンを主力に、脇役となるパン類も充実させたパン屋だった。設備投資も相応の額になったが、「うまく行かなかったら人間やめよう」とハラをくくった。
 「パンのトラ」は2011年2月に安城店が開店。2012年3月に半田店、2016年2月にはNEOPASA岡崎店、同年12月には八事店(名古屋市)、2021年11月には志段味店(同)、2022年4月に春日井店がオープンして計6店舗での展開となった。
 加藤さんは「ピッツェリアブル」での失敗経験を生かすために「逆のことを全部やった」という。店名も、「ピッツェリアブル」では業種も意味も分かりづらかった反省から、インパクトを重視して「パンのトラ」に決めた。父親の雅美さんがミスタードーナッツ、モスバーガーのフランチャイズオーナーだったこともあり、加藤さんは子供時代、3歳上の兄大和(ひろかず)さん(慶応大卒でIT企業の株式会社ギークプラスCEO)とともに周囲から「社長の息子」と言われて育った。加藤さんが立ち上げた「株式会社トラムスコープ」は実は〝ドラ息子の会社?をもじった「ドラムスコ?コーポレーション」の略称だ。
 「『パンのトラ』の看板を見たお客さんたちはタイガースファンのパン屋かな、などと勝手に想像しながら来ていると思います。『ピッツェリアブル』は、青色が好きだったという理由だけで決めましたが、インパクトがない失敗例でした」と加藤さんは苦笑する。

「寄ってみようか」という気にさせるパン屋に

 加藤さんが目指したのはイオンやユニクロなど、買いたいものが明確に決まっていなくても客を呼び込めるパン屋だった。車で通りかかった家族連れが、「パンのトラ」の看板を見て、「テレビのCMでも流れているし寄っていこうか」という気を起させる立地と駐車スペースは大切な条件だった。
 立地の選定では、子供のころ、父親から知らず知らずに受けた〝英才教育?が役立った。仕事中の父親の車に乗せてもらいながら聞かされた「客が車で店舗に出入りしやすい条件」が頭にあった。安城店は店舗を囲むように片側1車線の3本の道が隣接する。前方、後方から容易に入店できる。中央分離帯のない生活道路で、主婦たちも安心して来店できる。
 食パンのほか、買う楽しさにあふれたカレーパン、クリームパン、あんぱんなど120種類にも及ぶ脇役パンも今や主役に負けない人気商品群だ。
 トレー上のパンの会計はスキャナーが読み込み計算される。持ち帰り用の黄色の紙袋は二度印刷で高級感を出した。再利用してくれれば「パンのトラ」ブランドの認知度アップにつながるからだ。無料のコーヒーコーナーにはオーブントースターも用意されている。
 加藤さんは「ピッツェリアブルの経営は、勤めていたアルバイト先レストランの雰囲気をちょっと変えただけだった。本質をとらえていなければ生き残るのは難しい。だから、次にやる時は本質をとらえたオリジナリティがなければだめと決めていた」とも語る。

ギネス記録への挑戦とおいしさでのこだわり

  • 2014年に24時間で販売した焼きたての食パンでギネス記録を達成
    2014年に24時間で販売した焼きたての食パンでギネス記録を達成
  • 2023年には24時間で売れたカレーパンの数でもギネス記録を達成
    2023年には24時間で売れたカレーパンの数でもギネス記録を達成

 加藤さんは「パンのトラ」の知名度アップも期待して、ギネス記録にも挑戦した。2014年には24時間で食パン3941斤を販売し、総重量が1559.231㎏に達し、ギネス世界記録として認定された。記録達成のため、店舗を24時間営業し、夜通しでパンを焼き続けた。2023年にはカレーパン販売量でも8時間と24時間での販売記録がギネス認定された。
 「ギネス記録への挑戦は、単なる名誉ではなく、チームの一体感を高め、共通の目標に向かう絶好の機会になった」と加藤さんは振り返る。
 ただ、いくらギネス記録が認められてもパンはおいしくなくては売れない。加藤さんは「味には絶対に自信がある。特に水分量にこだわっており、モチモチした食感と、外側の薄い耳が特徴だ」と語る。
 2020年には、安城市の本社と隣り合わせで食品研究センターを作った。パンを冷凍化した場合のおいしさについては、生地を冷凍すると表面積が増え、水分が乗ってアミノ酸が増えるが、なぜ増えるかは分っていない。加藤さんは名城大学農学部の林利哉教授(食品機能学)にも相談にのってもらった。論文で本格的においしさの解明に取り組んでくれた女子学生も現れ、加藤さんは研究センターでつくったサンプルを持ち込んでいる。「名城大学との連携で新商品が出来たら楽しいでしょうね」と期待は膨らむ。
 「パンのトラ」の食パンは高級食パンではない。材料を高くすると売価も高くなる。食パンに使っている材料は、スーパーで揃えられるような材料が基本。そうした材料を使い、最適の練り上がり温度、水分量などを求めていく。経営戦略の一方で、「パンのトラ」のおいしさの探究は続く。

誇らしい母校の100周年

 加藤さんは2021年に母校である名城大学附属高校で開催された「同窓会文化講演会」に招かれ、「現代の成長戦略~ハレとケ~」のテーマで講演した。
 日本の伝統的な価値観では、ハレは「晴れ」、ケは「褻」で、ハレは冠婚葬祭や年中行事などの特別な日をさし、ケはそれ以外の普通の日常的な生活をさす。加藤さんは、「日常(ケ)に非日常(ハレ)をまとわせれば、日常が特別になる」と語った。「パンのトラ」でいうなら、普通の値段で買える、「特別なパン」づくりのことだ。
 加藤さんは間もなく100年の歴史を刻もうとする母校の歴史と自身を重ね合わせながら語った。「会社やお店をやってみて、継続するってことは本当に簡単なことではないと実感する。100周年というのは並大抵のことではない。これは名城大学が本質をとらえ歩んできた学校だからこそできたのだと思う」。
 加藤さんは、本質が何なのかという点については、「卒業生それぞれが持っており、十人十色のものだと思う。「自分が本質だと思っていることを後輩に伝えることが先輩である僕らの使命ではないだろうか」とも語る。
 2024年度も「探究」の授業に講師として招かれた。高校生たちに「お笑い芸人の成長と人間の成長は同じなんだよ」という話とかぶせて語った。「一発屋の芸人さんと、一過性で終わる業態は全く同じことをやっている」という加藤さんの主張に生徒たちの顔つきが「なるほどね」と輝いた。「理解した瞬間の顔を見ていると気持ちよかった」と加藤さんも嬉しそうだった。

仕事を通じて人間成長を

 株式会社トラムスコープのホームページ会社概要の代表あいさつで、加藤さんは「共に成長していきたい。人も売るものも」という決意を述べている。

 愛知県安城市に生まれ、2007年にイタリアンレストランのブルを安城に創業いたしました。当時は死に物狂いで、働いても赤字という結果で、体調を崩すことも多々ありました。今思えば今も持っている大切なことのほとんどは、その中で得られたものだと思います。
 常に問題意識を持ち、現状が正解でないことを忘れないようにしております。仕事をするということは、文句を言われるということだと思います。褒められているときは嬉しいのですが、変化がなく安定した状態です。文句を言われるのが好きなわけではないですが、常に文句に耳を傾けられる状態が、人を成長させてくれると信じています。
 トラムスコープは仕事を通じて人間成長を願い、自分たちが売るものも、自分たちとともに成長する。そんな会社であり続けたいです。